第44回 前頭葉と感情 | 医療法人社団 敬仁会 | 桔梗ヶ原病院

第44回 前頭葉と感情

平成31年4月11日、桔梗ヶ原病院リハビリテーション研究会Luncheon Seminarを開催しました。講師は当院リハビリテーション科の武田克彦先生。テーマは「前頭葉と感情」と題し、講演をして頂きましたので、ご講演内容を報告します。

 

脳は脳幹・大脳辺縁系・大脳・小脳からなり、大脳の前部を前頭葉という。脳機能の役割を表わすものとして、脳幹は「生きていく」、大脳辺縁系は「たくましく生きていく」、大脳は「うまく生きていく」、前頭葉は「よく生きていく」を演じる。前頭前野は判断力・情動抑制・創造性・理性など人間らしく豊かに生きていくための中枢部分である。前頭葉機能を知る上で重要な症例としてアメリカ人、フィネアス・P.ゲージ(Phineas P. Gage)の有名な例がある。彼は米国の鉄道建築技術者の職長だった。仕事熱心で責任感も強く、上司の評価は高く、その道で最も俊敏で有能な男であった。しかし1848年作業中の事故で鉄棒が左頬にめり込み頭蓋骨の底部から大脳の前部分を貫通し、前頭前野に広く損傷を受けた。2ヶ月後には、左目の失明・左眼瞼麻痺・軽度の左顔面麻痺を残すのみであったが、元の職場に復帰はできなかった。「きまぐれで、無礼で、ときおりひどくばちあたりな行為をする、同僚に敬意をはらわない。自分の欲求に相反する束縛や忠告に苛立ち、どうしようもないほど頑固になったかと思うと優柔不断になり、将来の行動をあれこれ考えはするが、その段取りをとろうとするともうやめてしまう」といった様子が見られ、彼の知人からは「もはやゲージではない」と言わしめるほどの人格と行動の根本的な変化を及ぼした。その後彼は仕事を転々とし、てんかん発作を起こすようになり、38歳にてんかん重積状態で死亡した。5年ほどして彼の墓はダマジオ等によって掘り起こされ、ダマジオがフィネアス・P.ゲージの頭蓋骨を元に3次元画像を構築して、その脳の貫通を再現した。すると前頭葉腹内側領域が障害されていることがわかった。フィネアス・P.ゲージの症例を糸口にして前頭前野は、人間性・社会性・知性機能に関わりを持っていることが初めて示された。

 

EVRは両側の前頭葉眼窩部の髄膜腫を除去した。CTでは、右優位の両側前頭前野、特に腹内側領域が損傷を受けていた。しかし、背外側部や帯状回、運動野や補足運動野は無傷であった。身体機能に大きな問題を認めず、神経心理学的検査にて知能や記憶、作動記憶は正常値であり、失語症検査、ウィスコンシンカード分類検査も問題はなく、ミネソタ式多重人格検査は全般的に正常の範囲内であった。しかし、いくつかの仕事を転々とし、特定の書類を1日かけて読む、レストランの決定が困難で優柔不断、自身の状況について超然とした態度で語る等の問題がみられた。また、彼は常に無感情であり、かつて強い感情を引き起こしたことがいかなる反応も引き起こさなくなった。

 

一次の情動とは、Ekman(1971)によると嫌悪・おそれ・喜び・悲しみ・驚き・怒りをさすと考えられた。James‐Langeによると、身体反応が起きて、その身体反応が脳に伝えられて情動が起きると考えた。例えば、クマを見て身の危険を感じて逃げ出す状況では、クマを知覚すると身体変化を生じさせ(末梢の変化)、この変化を意識したときに恐れや情動が生じるとした。一方、ダマジオ(Antonio R.Damasio)によれば、情動とは身体的変化として表出した生命調節のプロセスそのものであると考えた。例えば、何か恐ろしい光景を目にしたときに恐れを感じて体が硬直する・心臓がどきどきする等の特有の身体的変化が生じる為、身体反応を引き起こすのに個体を認識する必要はないと考えた。

 

情動の変化の信号は、皮膚・血管・内臓・随意的・関節等から脳に送られる。情動とは、特定の脳システムを活性化する特定のメンタルイメージと結びついた一連の身体状態の変化である。情動を誘発する刺激を感知すると、脳の感覚システムによって表象され、次いで情動誘発する部位が活性化される。これは鍵と錠前、抗体反応のようである。情動を誘発しうる刺激の評価する部位は感覚連合皮質、情動を誘発する部位は扁桃体・前頭葉前腹側内側・補足運動野・帯状回、情動を実行する部位は視床下部・前脳基底部・脳幹である。

扁桃体に損傷を有する例では、学習能力等に問題はなかったが、あらゆる人に肯定的な態度で接した。それはまるで恐れや怒りといった否定的情動が患者の語彙から取り除かれるようでいるようであった。特に恐れを体験しないということが分かった。

 

ダマジオは情動と感情を区別した。情動とは、恐ろしい光景を見て、体が硬直する、心臓がどきどきする等の特有の身体的変化をさし、表出した生命調節であるとした。一方、脳にはしかるべきところに対応する身体マップが形成されており、身体マップをもとに、ある限度を超えて身体的変化が生じたことを感じるのを感情という。感情は単なる情動ではなく、情動という反応プロセスの結果であり、身体に対する観念である。脳の身体マップ(神経パターン)からメンタルイメージが生じ、このマップが身体の状態(脈が速くうつ、化学的分子のこともある)を示している。ダマジオは、日常生活において我々が合理的な推論と意志決定を行うことが出来るのは、我々に情動があるからこそであるとした。

ダマジオは、そのような意思決定が出来るのは、身体的な情動が深く関与していると考え、これをソマティックマーカー仮説(外部からある情報を得ることで呼び起こされる身体的感情〈心臓がどきどきする、口が渇いたりする〉が、前頭葉の腹内側部(眼窩部)に影響を与えて、よい・わるいというふるいをかけて、意思決定を効率的にするという仮説)と呼ぶ。その処理において腹内側前頭前野(眼窩部)が重要な役割を果たしている。

 

前頭眼窩部障害に鋭敏な検査として、アイオワ・ギャンブリング課題がある。ギャンブリング課題とは、一般的に複数あるカードの山のいずれからからカードを1枚ずつ引いてゆき、カードに書かれている金額を獲得したり失ったりする中で、より多くの金額を稼ぐことを目指すものである。カードの山にはハイリスク・ハイリターン、およびローリスク・ローリターンのものがあり、前者の山からカードを引き続けると中長期的には必ず損をするよう確率的に固定されている。健常者の場合、課題の進行に伴ってリスキーな前者の山を避けるようになり、前頭葉損傷者は後者を選ぶようになる。ダマジオは、損傷部に前頭葉腹側部が含まれるのであれば、両半球の前頭前野の損傷は推論・意思決定と感情の障害と関連すると推論した。

 

以上、武田克彦先生に「前頭葉と感情」についてご講演をいただいた内容をご報告します。

次回は令和元年5月16日に武田克彦先生にご講演をしていただく予定となっています。

 

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